6月の保育
− 6月の園長先生のお話 −
園庭のソメイヨシノやヤエザクラはもちろん,紫雲山の木々も新緑から深緑に変わり,生命の定着を感じる今日この頃です。郊外の田では,田起こしが終わり,田植えの時期が来たことを教えてくれています。カエルの大合唱を聞くことができるのももうすぐです。
先日,園舎3階に置かれているキョウチクトウに水をやってると,園舎東側の小川と幼稚園南駐車場脇の側溝から,とても懐かしい鳴き声が響いてきました。昨年の園便りにも載せましたが,トノサマガエルとヒキガエルの鳴き声です。カエルの鳴き声を聞いていると,それぞれのカエルのつぶらな瞳が脳裏に鮮やかに浮かんで来るとともに,一所懸命に生命活動を営んでいるカエルの姿を思うと,私の心はとても丸くなってしまいます。
時間が許される方は,ぜひあの鳴き声を子どもと一緒に聞いてほしいと思います。
さて,聖堂に入ったところに置かれている長机の上に『心のともしび』が置かれています。5月号に片柳弘史神父様の『あるがままに』の文章が掲載されていました。とても素晴らしい内容ですので,ここに掲載します。
あるがままに
片柳 弘史 神父
人間関係が思った通りにならない。仕事が思った通りに進まない。思った通りの人生を生きられない。そんなとき,私たちはいらだち,心にストレスをためてゆく。ストレスの原因は,どうやら相手が,あるいは自分自身が,自分の思った通りにならないことへのいらだちにあるようだ。
なぜ,私たちは思った通りにならないといら立つのだろうか。それは,相手に,あるいは自分自身に,過剰な期待を抱いているからだと思う。たとえば親子の関係。「私の子どもなのだから,理想的なよい子に育ってほしい」という期待が裏切られるとき,私たちはいら立ち,子どもに腹を立てる。だが,自分の子どもだからといって,自分の思った通りに育つはずだと言えるだろうか。子どもには子どもの人生があり,それは子ども自身が選んでゆくもの。親が,子どもの人生を決めることはできない。そのことを思い出し,子どもの生き方を尊重できれば,子どもの振る舞いを見ていら立つことはないだろう。
子育て中に,自分自身に腹が立つこともある。「私はもっと理想的なよい父親,よい母親になれるはず」という自分への期待が裏切られるとき,私たちは自分自身に腹を立てるのだ。背伸びするのをやめ,自分の限界を受け入れられれば,自分へのいら立ちは消えてゆくに違いない。
ストレスをなくす一番確実な方法は,すべてを自分の思ったとおりにしたいと願う傲慢な心を捨て,謙遜な心であるがままの相手,あるがままの自分自身を受け入れることだ。心にストレスがたまったときには,「私は相手に,あるいは自分自身に,過剰な期待をしていないだろうか」と問いかけてみたい。
「心のともしび」2017年5月号より
「あるがままの相手をあるがままに受け入れ,あるがままの自分をあるがままに受け入れること」の大切さが片柳神父様の文章から分かります。
あるがままに受け入れるために,相手や自分を時間をかけて観察し,「知ること」から始めてみても良いのではないでしょうか。