9月の保育
− 9月の園長先生のお話 −
8月25日を過ぎたあたりから,朝夕の風にどことなく秋の気配を感じるようになってきました。太陽の南中高度もやや低くなり,部屋に太陽の光が差し込んでくるようになっています。
郊外の田では,稲の先端から穂が出始め,かわいらしい「おしべ」を見ることができるようになりました。太陽の光を一杯受け,実りの秋を迎ることを願っているのは私一人ではないでしょう。
この夏休み,幼稚園舎の外壁と屋根の塗装を行いました。外壁の色は,もとのクリーム色よりもやや黄色みがかったものにしました。そのこともあってか,園舎東側壁に設置されている「モザイクの園章」をはっきりと確認できるようになっています。幼稚園に来られた折には,ぜひご覧になってください。
さて,毎週,教会でミサの時に配られる「聖書と典礼」の8月6日号に,名古屋教区の松浦悟郎司教様が『今,選択のとき』との題で文章を載せられていました。とても考えさせられる内容でしたので,ここに掲載します。
今,選択のとき 名古屋教区司教 松浦悟郎
今,世界も日本も危機的状況の中にあります。自国中心主義が広がり,極右勢力の台頭による難民,移住者への排斥,また紛争やテロが頻発するなど,世界が暴力的になりつつあります。その背景には,想像を絶する富の格差(上位8人の大富豪と下位36億人の総資産が同じ)があり,またそこへ軍需産業の利権が絡むなど,歯止めが効かなくなってきています。
残念ながら,日本はその流れの中に組み込まれるというより,積極的にその傾向へと突き進んでいます。多くの人が「ぼんやり」させられているうちに,日本政府は平和憲法の精神を無視して軍事力一辺倒の政策で突き進んでおり,市民への監視,情報コントロールを強力に進めてきています。国連特別報告者が「メディアの公平性や独立性」「プライバシーや表現の自由」について数次にわたって強い懸念を表明していることは記憶に新しいところです。
こうした現実の中,ヨハネ・パウロU世の広島での平和メッセージが今,現実味を帯びてきています。「各国で,数多くのより強力で進歩した兵器が造られ,戦争へ向けての準備が絶えまなく進められています。それは,戦争の準備をしたいという意欲があるということであり,準備が整うということは戦争開始が可能だということを意味し,さらにそれは,ある時,どこかで,何らかの形で,誰かが世界破壊の恐るべきメカニズムを発動させるという危険をおかすということです。」(広島「平和アピール」1981年2月25日)と。このメッセージから36年経ち,教皇フランシスコは世界が「散発的な世界大戦」(2017年「世界平和の日」メッセージ)に入っていると指摘しています。今,方向を変えないと世界は大変な状態になっていくことでしょう。
この現実の中に教会は派遣されています。私たちを派遣し,共に歩んでいるキリストはどこに向かって歩めと呼びかけているのでしょうか。その声を聴きつつ現実を直視し,流れに身を任せるのではなく,自覚し,決意し,平和を選び取っていきたいものです。個人として,教会として。
戦争は,「人が幸せに生きていこうとする権利を根底から奪うものである」と思います。
そして,戦争によって一番被害を受けるのが社会的弱者であることは,今までの歴史が証明しています。
神様がくださった「知恵」と「言葉」によって,地球上に平和が行き渡ることを願ってやみません。